水辺遍路

訪れた全国1万1,300の池やダムを独自の視点で紹介

新吉原花園池(東京都台東)

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新吉原花園池。弁天池とも。
その名の華やかさとは裏腹に、今から百年ほど前の九月、この小さな池に折り重なるように490名とも600名ともいわれる、なかば裸の女性の遺体が水面を覆った。その凄惨な光景は、池畔の掲示板に掲げられた当時の白黒写真に映し出されていた。あまりのことに、しばらく自分の目が信じられなかった。
あがくように遺体からのびた手足は、まるで水面を埋め尽くす蓮の茎のようだった。現実を受け入れられず、もう一度、目をこらす勇気もなかった。
1923年、首都を襲った関東大震災。遊郭だった吉原(よしわら)からも火の手があがる。売られた遊女たちが混乱に乗じて足抜け(脱走)せぬよう、あろうことか門が閉じられ、炎に追われ逃げ場を失なった遊女たちが逃げ込んだのが、この池だった。
百年たった今も、雑居ビルに囲まれた狭い敷地を、圧しつぶされそうに重い空気が支配する。池は埋められたが、小さな庭池として弁天池の名残りを伝える。
錦鯉の鮮やかな色が、目に染み入った。
(下の写真には震災直後の池の写真が含まれていますので、閲覧の際にはご注意ください。また、門を閉じたという点については事実と異なる可能性があります)

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ロストレイク(消失湖)