【しんみょういけ、しんみおいけ / 新澪の池】

江戸時代に生まれ昭和時代に消えた神秘の島池
江戸時代の1763年の噴火の火口跡に水がたまって生まれたドン深の火口湖が新澪池。
昭和時代、1983年の噴火で近くの割れ目から噴き出した溶岩流が池に流れ込み、水がすべてなくなり消失したが、壁のような火口壁は埋まることなく健在で、跡地が新澪池園地として展望所などが整備されている。
当時を知る人の話によると大路池と違ってブラックバスはいなかったようだが、コイ、ワカサギは生息していたようだ。
ときどき牛乳を流したような水の色に変化することがあり、そんなときは鯉の黒い背中がとにかく目立った。一週間ぐらいで通常の水の色にもどったとの宿の女将の証言。
アメリカンスクールの子どもは池に飛び込んで遊んだりしていたが、日本の子どもは池には入らなかったとも。

新澪池の解説文
以下、現地の案内板より。
新澪池は、宝暦13年7月9日(1763年)の噴火により形成された火口湖で、湖水には0.5%の塩分が含まれており、学問的にも貴重な湖だといわれ、鯉、ワカサギ等が棲息していた。また、湖水の色が一日に七色にも変化すると伝えられていた湖で、昭和58年の噴火直前には、青、茶、褐色、黄褐色に変わる湖水の色を実際に自分の目で見た人も少なくない。
当時、この池の水が変化するのは島に異変が起こる前兆であるという噂が流れては島民の不安をかりたてていたが、安政2年(1855年)に島民の動揺をしずめ、その安泰を祈念して遷宮されたのが新澪池神社である。
約80mにも及ぶ眼下の湖面は思わず立ちすくむほどの絶景であり、神秘につつまれた名勝の地であったが、昭和58年10月3日に起きた水蒸気爆発により、その風景は一瞬にして消え去ってしまったのである。
三宅村






ジオラマで見る新澪池


展望所
池跡の穴はよく見えないが、向こうに溶岩が流れた真っ黒の痕跡が見える。





空撮
全景



湖岸



新鼻





駐車場・トイレ


標高48.53m(三等三角点)
新澪池には、標高48.53mの小松原三等三角点が設けられていた。

観光ポスター







