水辺遍路

訪れた全国1万1,100の池やダムを独自の視点で紹介

奥山池(和歌山県海南)

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海南野池群のひとつ。林道野尻線の起点近くにあり、みかん畑横の石垣の小径を歩いて堰体にアプローチできる。
ある程度の規模もあり山裾が池に落ち込む素朴で味わい深い池だが、獣除けと思われる鉄柵で堰体天端を進むことはできなかった。柵内への立入禁止の看板も掲げられている。
池の奥にはもうひとつ堰体が見える。二段の重ね池のようだ。
この池の200mほど下には「頭の宮(おこべさん)」というちょっと変わった名の神社がある。初代天皇軍と奮戦の末に敗北しバラバラに体を切断された名草姫(なぐさひめ)の頭部が祀られているとう伝説に由来する。
神社の正式名は宇賀部神社で、名草姫は名草戸畔(なぐさとべ)の名で「日本書紀」にも出て来る。

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はるか時代を下って昭和。戦後復興を遂げ高度経済成長と平和を謳歌していた日本に、30年も敗戦を知らずにフィリピンの山奥で一人、太平洋戦争を戦っていたという日本兵が帰国し、マスコミも騒然となった。
古びた軍服姿で敬礼する小野田寛郎氏の写真が目に焼き付いている。小野田氏の実家が宇賀部神社で、戦争がなければ宮司になっていたかもしれない。
のちに初代天皇となる男を相手に最後まで戦った女首領と、皇国のために戦後30年も孤独に戦った小野田さんの不思議な縁。実際には30年のうちかなりの期間は仲間もいたし、今でいえば諜報工作員の小野田氏は日本が米軍に占領されたことも知っていた。
しかしどんな情報も、30年近く心を支えた彼の中の物語を終わらせることはできなかった。
小野田さんが武装解除に応じたのは、生存を聞いてあわててフィリピンに駆けつけた元上官が、陸軍書式で投降指令を出してからだった。
小野田さんにとって30年後の日本は馴染めなかったのか、まもなく日本を去る。彼の中の物語は、まだ終わっていなかったのかもしれない。


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アプローチ路。


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奥に上の池の堰体が見える。


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堰体の柵。


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池への入口付近。

たった一人の30年戦争

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小野田少尉との三ヵ月「幻想の英雄」

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