水辺遍路

訪れた全国1万1,300の池やダムを独自の視点で紹介

明神池(明神一之池と二之池)(長野県松本)

【みょうじんいけ / 霊湖】

霊峰・穂高が眼前にそびえる神秘の池。

御幣(ごへい)のような厳そな岩稜をつらね、古来から霊峰として崇められた穂高の大伽藍にあって、まるで神々の中庭のような神河内(かみかわち)が配されている。
まことこの中庭には作庭の見本のような池まで置かれているから、そのみごとな自然の采配には舌をまく。
それにしても神河内という気高い名に、どういったいきさつで「上高地」という軽い字と音があてられるようになったのか知らぬが、大型バスがすれ違いできるトンネルが次々と開削されていき、スニーカーでも散策できるような高原リゾートとなった今は、上高地というさわやかで軽妙なイメージも似合っているといえば似合っている。

「上高地」の表の顔が大正池ならば、「神河内」の真の顔はこの明神池であろう。
近代になるまで日本には「高原」の概念がなかったと聞く。高原がハイランドの訳語であるように、高原を愛でるという発想自体がヨーロッパからの輸入だった。
この上高地もまた明治時代に訪れたウェストンさんという外国人によって「発見」」された。それまで長く神河内は信仰の地でしかなく、訪れるためにも、長い山道を経て徳本峠(とくごうとうげ)を越え、やっと、やっとその姿を現してくれるという秘境だった。

バスターミナルから明神池は、右岸コースが水辺好き向け。

マイカー規制のゲートを抜けてシャトルバスが到着する上高地バスターミナルに着いたら、まっすぐ明神池への最短コースを行くのではなく、まず河童橋を渡って梓川右岸側に出たい。

上の写真では霧に覆われているが、山と山のあいだの股の部分が壮観である。明神池には、あの股の方に進んで行くイメージである。

よく整備された木道と遊歩道をつないで、梓川に沿って歩いていくと、時折、幻想的な表情をした沢が顔をのぞかせてくれる。これが右岸コースの醍醐味。

スニーカーでも大丈夫そうなやさしい道で、すぐ隣には管理用の車道もある。時折、軽トラックがけっこうなスピードで走り抜けて行く姿まで見えるので、そこだけちょっと興ざめではあるが、安心ではある。


1時間半ほど歩いていくと、梓川にかかる嘉門次橋が見えてくる。嘉門次とは、かのウェストンの道案内人として、おそらくは日本人として名の残る穂高初登頂者であろう。深田久弥の「日本百名山」には、穂高に眠るアルピニストたちの名も記されている。

すぐ左手には、明神岳がそびえる。ここまで来れば、明神池はすぐそこ。
橋手前の分岐を左に折れると、嘉門次小屋と公衆トイレ、その奥に穂高神社がある。

上の写真は、明神池の拝観口。奥に見える小さな拝殿の向こうは明神池なのだが、木々に阻まれてよく見えない。
池と峰とセットで穂高神社の御神体のような存在になっており、池に自由に出入りすることはできない。
明神池をしっかり見るためには、左の建物で拝観料を払って奥に進むほかないようだ。

明神池は、一ノ池、二ノ池からなるが、実際にはつながっている。
毎年10月、龍頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)の二艘の舟を浮かべる神事が行われている。

龍頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)は、舟の舳先に付ける龍と鷁の首をあしらった飾り。これは奈良県の猿沢池の祭事に使われる二艘の神事用の舟と同じ。ただし明神池のものはリバーシブル
飾りをはずした状態で舟の方は桟橋に繋留されていた。

二ノ池はどこかあの世を思わせる寂寞。池に浮かぶ小島に生える木は盆栽のようでもある。


明神池にはイワナの他、国内では自然繁殖池の少ないカワマス(ブルックトラウト)が生息しているということであるが、これはどちらの稚魚だろう。梓川ではところどころで人によく慣れたイワナを目にした。イチョウバイカモというめずらしい水生植物も自生している。


そのうち、霧のあいまから岩穂が垣間見えた。あれが明神だろうか。ちょっと近い気もする。


明神池案内図。


<資料・写真アーカイブス>