【はこじまゆうすいち】
筑波山の意外な姿が見える池。
太古から愛された筑波山は、じつに万葉の薫香をまぶしたような山だと思う。「百名山」に但し書き付きで入っているのも異例であるが、この山の魅力はひと目見れば時代を超えて共有することができる。
「二峰並立が筑波山のいい姿であって」と百名山に深田久弥が記しているように、私も長らくこの山を男体山、女体山の二峰に引き絞られる秀峰として見ていたが、母子島遊水地から見える筑波山はひと味違う。二つではなく、三つの峰がだんだんに左に流れ裾を引いていた。
昭和の大水害が生んだ「ダイヤモンド筑波」の絶景
母子島遊水地は、昭和61年夏に死者・行方不明者43名をだした小貝川水害を受けて、被害集落5つの移転跡地に造られた防災施設。
それが近年、穴場絶景スポットとして脚光を浴びている。晴れた朝夕であれば、「逆さ筑波」など心にしみる水辺景観に会える可能性も高いが、絶景ハントとなるとそれなりの気合なり運なりが必要。
特に年に二回の「ダイヤモンド筑波」、さらに条件の厳しい「ダブルダイヤモンド筑波」となると、撮影陣地合戦も含めて熾烈だ。
チャンスは10月28日前後と2月14日前後。春は290本のサクラが咲く。
遊水地の構造
広大な敷地の多くは、ふだん水のない草原が広がっている。畑として耕作している土地も内包しているようだ。
広すぎて構造が分かりにくいが、計画図と航空写真を照らし合わせて構造図を描いた。
小貝川に越流堤が設けられている。遊水地に入った水は中央を縦貫する田谷川水路を経て遊水地全体でも一段低い初期湛水池(しょきたんすいち)周辺に流れ込むようになっている。
初期湛水池の下には、もう一段低い池があるが、水路はこの池のわきを通って田谷川水門へ。その先は大谷川と小貝川の合流部。
2018年の西日本豪雨における倉敷や2019年の千曲川でも、支流との合流部における水害が「バックウォーター現象」として注目された。
小貝川と大谷川の合流部のここも洪水の超危険地帯だったわけで、水害の被害にあった5集落を造成した高台に移転させて、跡地をそっくり防災遊水地にした。津波の高台移転と似ているが、違いは被災地跡が下流域の減災に貢献している点。
越流が起こりやすい場所にあえて越流させるための設備を設け、浸水が起こりやすい土地にあえて水を引き込む。城を強固にして守るのではなく、弱点に引き込む攻めの姿勢で守るという逆転発想は、黒澤明監督の『七人の侍』を名セリフを思いださせるものがあった。
勘兵衛「よい城にはきっと隙がひとつある。その隙に敵を集めて勝負をする。守るだけでは城は持たん」
勘兵衛「離れ家は3つ、部落の家は20。3軒のために、20軒を危うくはできん。また、この部落を踏みにじられて、離れ家の生きる道はない。いいか。戦とはそういうものだ。人を守ってこそ、自分も守れる。おのれのことばかり考えるやつは、おのれをも滅ぼすやつだ」
初期湛水池では釣りもできる
調整池といえば立ち入り禁止のイメージが強いが、ふだんから水を張っている初期湛水池(しょきたんすいち)では、ブラックバスやヘラブナを対象とした釣りもできる。
景色もよくのどかな釣り場だが、トイレが1km以上離れている点が弱点といえる。遊水地の中でも真っ先に水を引き入れる場所だけに、トイレの汚物流出とか、簡易トイレがプカプカなんて事態が容易に想定されるだけに、設置は難しいのかも。
下の写真ではへらぶな釣り師とルアーアングラー、さらに独自の仕掛け(?)でエビか何かを獲っている人もいた。
駐車場・トイレ・案内板
駐車場あり。ただしトイレは1kmほど離れた場所にある。
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