地形愛と地酒愛
地酒の銘柄にもなっている「月不見の池」。
その月不見の池ジオサイトの案内板がよくできていて、よく見ると月不見の池からの流れ出し先に、牛池、つづいて細池という二つの池名も記されていた。
再調査(1)2020年4月
二種類の地図に見る池と水路
地図上では、細池と牛池の特定はできず。
Google マップにはないYahooマップ上の第三の池
月不見池の上に二つの池が記されている。
上が細池、真ん中の小さな池が牛池ということか。
細池の方は両マップとも問題ない。航空写真で確認しても確かに実在している。
しかし牛池の方は航空写真でも位置の特定が難しい。
一般的に考えれば三つの隣接した池に通水関係があるGoogle マップの方が理解しやすい。
上から月不見の池から流出した水が、牛池、つづいて細池と流れ、段丘下の河川へと吐き出されていく。
しかし、現地案内板を精読してみると、信じられないようなことが記されていた。
上下関係が逆?! 誤植じゃないとしたら・・
上の写真は池たちが巨大な地すべり地形に生まれたことを説明した案内板の部分拡大。
池の周辺の地形が、古い不透湿の地層と火山性の地層の「二階建て」になっていて、いわば二階部分がごそっと山斜面をすべり落ちたということらしい。
地すべり地形というネガティブなものをプラス要素として生活や信仰に活かした事例としては、山古志の棚池群を拙著『日本全国 池さんぽ』でも採りあげたが、ここでも地質的な事情は似ているようだ。
上の案内板の鳥瞰図を見ても、月不見の池から細池へと流れ出した水が下の早川に下っていくと見るのが、ふつうだろう。
しかし右側のカットモデルで図示されているのは、まったく逆で、八十八ヶ所の下に細池・牛池があり、その流末に月不見の池がある。
月不見の池は水源池ではなく、地下水の吐き溜め?
確かに今一度、Google マップに立ち戻ると、細池の北側の、当初は下流と思っていた方が細くなって先の部分が消失している。
この水源がどうなっているのかがキモになるが、航空写真では確認できなかった。
また、細池への遊歩道と月不見の池への分岐点からは、両池の高低差は把握できなかった。感覚的には山に向かって奥にある月不見の池の方が高く感じるし、里側の細池は低く感じる。
高低差が直感とは逆になる特殊な地形なのか?
細池と細池遺跡の石碑
細池と牛池については、名が彫られた石碑もあった。
牛池には「名しょう(名勝)」とも読める。
細池の方は、判読できず。
細池遺跡は縄文時代の生活跡。昔から集落の飲料水として使われていたというだけあって水は清冽。イワナ、ニジマスが生息しているという話も。
再調査(1)のまとめ
池の水源や、三つの池の通水関係は、いずれも成因である大規模な土砂崩れと地下水脈にある。川に向かってなぜ流れ出していないのかなど、地形的な不思議と魅力がある。再調査して報告したい。
再調査(2)2020年8月
細池の姿
名の通り細長い。流末がさらに細くなってU字溝になり集落に消える。
明瞭な堤構造が見てとれないことと、この形状によって地図では早川に近い集落側の方が上流に見えてしまったのかもしれない。
下の写真は流れ込み側から見たもの。池の奥に集落が見える。
左の変わった構造物は取水口のようだ。考えてみれば取水口は流末に設けるのがふつうだし、やっぱり変だ。水の流れを笹舟でも浮かべて確認しておくべきだった。しかし水草が多く水が動いていない。
岸と水ぎわ
畦状の自然護岸。下の写真はインレット側。掘り込まれたようにも見える。
吐き出しから流下水路
吐き出しに向けて細くなり、U字溝となって道路下をくぐり集落の方へ。
道路との交差ポイントで分水されているようにも見える。また、水汲み場にもなっているようだ。
取水設備
こちら側にあるのは、なぜだろう。
細池への分岐
月不見の池の駐車場の少し先に分岐と道標がある。
細池までは160m。
石碑
再調査(2)のまとめ
やっぱりいろいろ分からないことはあるが、絵地図の精度は上がってきた。次は対岸の不動山から俯瞰してみて全体像を今一度、見直してみたい。
八十八ヶ所石仏めぐり、大滝、滑落崖なども合わせてよく見てみたい。
Googleマップ
マークした場所は駐車場。