たてやまためいけ。
震災後五年たった2016年も帰宅困難地域として、警備員と警察官が道の入口を警備していました。許可をとって中に入れましたが、二輪車は放射線を浴びやすいため走行禁止となっていました。
堰体天端の道路は閉鎖され、震災の爪痕が5年たった今もなまなましく残されていました。
案内板にはかつてゴムボートで釣りをする人が多かったと記されています。その後、ボート禁止になり、現在は堰体も壊れたままでした。
たてやまためいけ。
震災後五年たった2016年も帰宅困難地域として、警備員と警察官が道の入口を警備していました。許可をとって中に入れましたが、二輪車は放射線を浴びやすいため走行禁止となっていました。
堰体天端の道路は閉鎖され、震災の爪痕が5年たった今もなまなましく残されていました。
案内板にはかつてゴムボートで釣りをする人が多かったと記されています。その後、ボート禁止になり、現在は堰体も壊れたままでした。