【さやまいけ / 狭山池ダム】

古事記にも登場! 池博物館もある「日本最古のダム湖」
築造はなんと7世紀前半とされ、国の史跡にも指定された人造湖。古事記や日本書紀にもとりあげられた日本最古のダム式の溜め池でもある。
ダム式の池は単に地面を掘った池ではなく、河川を堰き止める高度な築堤技術と労働者の組織だった動員が求められるだけに、はるか千年以上も前にそういったものが確立されていたことに驚く。
さすがダムの元祖だけあって、堰体下には池名を冠した狭山池博物館があり、建築家・安藤忠雄の手による現代建築の室内にダイナミックに納められた旧取水塔や底樋菅などの実物展示に圧倒される。

狭山池の池伝説と池底の巨大な穴「龍神淵」
狭山池のメス竜と粟ケ池のオス竜の逢瀬
10km離れた粟ケ池(富田林市)に棲むオス竜(雄蛇)が狭山池のメス竜に逢うために通ってきたが、巨体が這うと田畑が荒れるので村人が困っていた。(メス竜がオス竜の粟ヶ池に通うという説もある)
オスメスがいっしょに狭山池で棲めるよう龍神社をこしらえ、かいぼりする冬でも竜が困らないよう池底に水が残る穴を用意した。
竜の冬の棲み家
江戸時代までは西除あたりに滝つぼがあり、そこが水のないかいぼり期間中の龍の棲家だったようだが、安政時代の改修工事で滝つぼを埋めようとしたところ人足にケガ人が続出。龍神の祟りと畏れ、滝つぼの代わりとなる穴をこしらえたのが龍神淵のおこり。
下の「河内名所図会」では、西除のあたりに滝と「小池」という淵が描かれている。安政の改修前の1800年ごろの絵。

龍神淵と壺
直径27m、深さ5mほどのすり鉢状の穴。
平成8年のダム化工事の際に穴が見つかり、その底に壺が発見された。しかし地元の意向で壺は中をあらためられることなく穴に戻されたという。

龍神社
管理は金剛駅近くにある狭山神社。

狭山池の立地
自治体名にもなっている「狭山」の名も興味深い。今でこそ町が広がる広大な平地だが、もともとダムは山と山が狭まる谷間に造るもの。明瞭な谷池地形ではないものの、見通しのいい広い幹線道路を通っていると、池に近づくにつれ緩やかな窪地になっているのが分かる。





狭山池の構造と機能
堰体
堰体にはバリアフリーのスロープも設けられている。堰体天端は遊歩道。取水塔も見える。



昭和の水害を受け、洪水調節機能を追加
洪水吐は計3門あり、アーチ形状のものも。

西除洪水吐

副池(第二狭山池)
大正末期の「大正・昭和の大改修」において、過去の洪水吐と西樋の流路を利用して設けたとのことで、洪水調節機能の一端を担う。
東除洪水吐


流入水路
少年たちがワームでちくちくやっている。鯉をワームで? と思ったら、なんとこの魚の正体はナマズ。大量のナマズが群れていた。
ただ、ルールとしては釣り禁止なので大人は真似しないように。(2015年撮影)

取水塔


狭山池の施設・設備
狭山池博物館
池好きには痺れる充実の展示。なのに入場無料。素晴らしすぎる。






旧取水塔のまるごと展示

堤体の輪切まるごと展示
1400年前の築造時からの堤の年輪を、金太郎飴のように見ることができる秀逸な展示技術。このような展示は世界初だとか。
古い層には敷葉工法に使われた小枝などが含まれている。



古い底樋のまるごと展示






池博物館の池



狭山池公園
池の周回路は一周3km弱。



駐車場


案内板








池資料館の展示物




狭山池の歴史
池溝の築造
狭山池の改修には各時代の池界のスターが携わっている。奈良時代の行基、鎌倉時代の重源、江戸時代の片桐目元。
築造当初(飛鳥時代)の堤長は300mほどだったが幾度もの改修を経て大型化した。







律令国家による改修




行基の改修


慶長の改修
木製枠工を使った。



木製樋と石樋の合わせ技








狭山池の改修絵図



西除の改修計面図

尺八樋の登場




底樋門



石樋



樋の材料には軍船の木材を流用



石棺を流用した石樋

狭山池の景観
堰体側からの全景

パノラマ
堤体より。

地図
ニッポン湖沼図鑑マップ

Googleマップ
マークした場所はトイレ・駐車場。