剣池(つるぎのいけ)
日本書紀に違う名前で出てくる池。
第15代応神天皇が、軽池、鹿垣かのかき池、厩坂うまやさか池、剣池を灌漑用に造ったと『日本書紀』にある。
さて問題なのは、この場所が孝元天皇の陵墓とされており、応神天皇の時代には古墳の外堀があった可能性もある。孝元天皇は実在が疑問視もされているが、実在ならば応神天皇は先祖の墓をめぐるお堀を農業のために拡張利用したことになり、なんとも微妙な話だ。
神話に出てくる剣池に比定されているのが現在の石川池であるが、厳密にいうと剣池と石川池はひとつにつながった別々の池という話もある。
実際、円墳のような丘を取り囲む水域にはコンクリート製の柱が水面から顔を出しており、これが両池の境界とか。墳墓は宮内庁の管理だから、このコンクリート柱は宮内庁の管理境界を示すものなのだろうか。石川池とされる領域には、釣り禁止看板が立っているが、そこに記されているのは「宮内庁」ではなく「石川池管理人」という文字である。
池は遊歩道、案内板あり。剣にまつわる伝説あり。
釣り禁止。
水面にいくつものコンクリート柱が見える
池畔遊歩道
釣り禁止看板
案内板