水辺遍路

訪れた池やダム 1万スポット

住持池(和歌山県岩出)

じゅうじがいけ。住蛇池。

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  さんさ坂本室家の娘
  嫁にいたとは住蛇池


桂姫にまつわる不思議な伝承の残る池。

地元の子守唄にも詠まれた住持池(住蛇池)は、この池の水を使わなければ髪を梳くことができなかったという桂姫にまつわる不思議な伝説をもつ。
池の堰堤横には坂本神社があり、石段をのぼった寺門脇から池の堰堤に出られる。
神社横に駐車スペースはあるが台数が少ないので、近くの大門池にある図書館駐車場を利用し、帰りに図書館で地元町誌をひもとき伝説に思いを馳せるなんてのも粋である。
釣り禁止。
四車線のバイパス沿いにありアクセス性はよい。
ページの末尾に岩出町誌から抜粋した伝説を記す。

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室家(むろや)の桂姫(かつらひめ)とのまつわり

出典:岩出町誌
発行:岩出町


康和(こうわ)のころ、根来山(ねごろやま))の麓(ふもと)、西坂本(にしさかもと)に室家右兵衛尉忠家(むろやうひょうえのじょうただいえ)という豪家(ごうか)があった。彼は豪華な生活をし、裕福に暮らすことのできる身でありながら、ただ、子供のないために淋しく過していた。ある日小野ノ小町の墓に詣(まい)れば子供ができるということを聞いた。忠家の妻は、二十一日絶食して彼女の墓に祈願(きがん)をこめた。やがて忠家の妻は妊娠した。忠家夫婦の喜びは言うまでもない。幾日(いくにち)かが過ぎてそこに産み落したのは桂姫(かつらひめ)。桂姫は不思議にも小野ノ小町そっくりな非常な美人だった。だんだん成長していく桂姫は、住持池(じゅうじがいけ)の水をつけなければ髪は梳(す)けなかった。それでいつも住持池の水を汲んできては梳いていた。
桂姫が年頃(としごろ)になったころ、どこから忍び入るのか毎夜毎夜(まいよまいよ)丑満時(うしみつどき)に彼女の枕元(まくらもと)へ美男(びなん)が現われ、そしてどこへ行くともなく消えていくのだった。
ちょうどそのころ、和泉国尾崎(いずみのくにおざき)の大原源蔵高広(おおはらげんぞうたかひろ)という北面(ほくめん)の武士に嫁ぐ約束がなった。いよいよ嫁ぎ行く日がきた。空はがらりと晴れて雀(すずめ)まで嬉しそうにさえずっていた。めでためでたで室家をでた。箪笥(たんす)・長持(ながもち)・挾箱(はさみばこ)・豪華な嫁入行列を付近の人々は珍しそうに見物していた。やがて行列は住持池の場にさしかかった。折しも一天(いってん)俄(にわ)かにかき曇って池には大波が立った。ところが驚くなかれ、岸に押寄せる波にはあの不思議な大蛇が乗っていた。人々はあれよあれよというまに大蛇は桂姫をさらって再び池の中にはいってしまった。人びとはただ夢見るように池水を眺めていた。母の悲しみ、堤(つつみ)に立って泣きあかす母の姿、それは見ても哀れであった。同情ある村人とともに近くの遠上藪に灯をたいて三日三晩(みっかみばん)祈祷(きとう)した。
四日目の朝もまた母は堤に立って桂姫を慕っていた「蛇に召された娘ならもうあきらめて差し上げます。どうか一度娘の顔を見せてくださいませ」。静かな水際(みずぎわ)でただ母のすすり泣く声のみ哀れに響いていた。やがて鏡のような水面(みなも)が小波を立て始めた。だんだん大きくなってそこに現れたのは大蛇と桂姫の半身(はんしん)「おお桂姫」母は我身(わがみ)を投げて娘に抱きつこうとした。人々の走り寄った時には、もはや桂姫の姿でなく二匹の大蛇が仲よく遊泳(ゆうえい)していた。深草少将(ふかくさのしょうしょう)の望みも、幾十年かを経て、ついにかなったのである。
さんさ坂本室家の娘
嫁にいたとは住蛇池(じゅうじゃいけ)
子守唄にまで唄われる位のこの事件以後、住持池(じゅうじがいけ)は住蛇池(じゅうじゃいけ)とも呼ばれるようになった。そして、百姓(ひゃくしょう)たちはこの蛇を見たことも少なくなかった。