水辺遍路

訪れた全国1万1,300の池やダムを独自の視点で紹介

利根川・水と緑の運動公園(千葉県成田)

2014年にバスフィッシングの攻略拠点として紹介した公園であるが、2024年6月に利根川土手沿いの道を運転中、眠気に襲われ立ち寄って仮眠。
あまりの暑さで目覚めると、ちょうど眼前に龍伝説の案内板が。この公園を紹介しておきながら、10年間、龍にまつわる壮絶な伝説があったことさえ知らなかったことに衝撃。そして偶然にもこの案内板の前に来たのも何かの縁かとしみじみ。
ちなみに現在の利根川のこのあたりは江戸時代に人工的に造られたものなので、伝説で語られている時代には今よりずっと広大だった印旛沼のほとりだったのだろう。年代としては、ちょうど海進期が終わり海が後退しはじめるころ。よって利根川というより印旛沼の池伝説のくくりに入ろうか。
以下、栄町オフィシャルサイトより。

龍角寺の「龍伝説」

 龍角寺は、元明天皇の時、和銅2(709)年、天から龍女がやってきて、一晩の内に寺の全ての建物を建てたといわれ、初めは龍閣寺といった。
 その後、奈良の都が作られて20年ほどたった天平3(731)年、聖武天皇の時のことである。
 その年は、春から日照り続きで、作物は実らず、人々は困窮していた。聖武天皇は、諸国の神社仏閣に雨乞いの祈願をさせたが、一向にその効果がなかった。そこで、どこか竜神にゆかりの所はないかと尋ねたところ、ある者が、「下総国埴生(はにゅう)郡に、龍女が一晩で建てた龍閣寺という寺があります」と奏上したので、さっそく龍閣寺に雨乞いの祈願を命じた。
 龍閣寺の釈命上人(しゃくめいしょうにん)は、大勢の弟子と共に経を読み、昼夜を問わずに祈り続けた。とうとう結願という日、聴衆の中から進み出るものがあった。それは、身長が八尺(約2.6m)もある老人であった。そして、「私は印旛沼の主です。ありがたいお経のおかげで私のこの世の罪が消滅しました」と言った。上人は、少し怪しみながらも、「あなたは竜の化身なのですね。それなら、慈しみの雨を降らせて人々の苦悩を助けなさい。龍閣寺は竜神が建てた寺なのだから、雨が降らねば面目ない。竜の力を顕しなさい」と答えた。すると老人は、「今年の旱魃(かんばつ)は、命のある者の原罪になるのでしょう。私は小竜の化身ですから、大竜の許しを得なければ、一粒の雨も降らすことはできません。しかし、ありがたいお経のおかげで身を救われた今、どうして人々の命を軽んじ、この身、この命を惜しみましょうか。もし、私が雨を降らせれば、この命は奪われるでしょう。この身は三つに裂かれ、印旛沼の辺に落ちるでしょう。そうしたら、頭は龍閣寺に、腹は印西の地蔵堂に、尾は匝瑳の大寺に納めて下さい。そして、どうか、私のために祈ってください。」と言ったかと思うと、かき消すように姿が見えなくなった。
 すると、天はにわかにかき曇り、稲妻が虚空に響き、ぶ厚い黒雲が空を覆い尽くしたかと思うと、どうっと雨が降り始めた。田畑の作物は息を吹き返し、人々は歓喜の声をあげた。そして、雨は七日七晩降り続いた。雨が止むと、上人は皆を引き連れて印旛沼を訪れた。見ると、老人の話どおり、竜の身体が三つに裂かれ落ちていた。人々は皆、哀悼の涙を流し、約束どおりに、竜の身体を三ヶ所に葬った。その夜、頭を納めた龍閣寺は龍角寺、腹を納めた地蔵堂は龍腹寺、尾を納めた大寺は龍尾寺と名を改め、今でも、人々は龍のために祈り続けている。

【龍角寺縁起より】

www.town.sakae.chiba.jp

 

池伝説にある龍角寺

龍角寺の近くには、亀の子池というヘラブナ管理釣り場になっている池がある。

bunbun.hatenablog.com


 

アングラーの利根川攻略拠点

日本一の流域面積を持つ利根川の攻略拠点のひとつ。
クルマの流れのよい利根水郷ライン沿いにある水と緑の運動公園はアクセス性もよく、駐車場、トイレ、自販機もあるので拠点として最適。公園前の利根川には、沈みテトラ、乱杭があり、ブラックバスの好ポイントでもある。
駐車場は夜間閉鎖なので、残念ながら早朝入りはできない。



 

施設・設備

駐車場、トイレ、自販機。



 

Googleマップ

マークした場所が駐車場