水辺遍路

訪れた全国1万1,100の池やダムを独自の視点で紹介

山古志の棚池群(新潟県)

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山古志の棚池では、半年ものあいだ棚池の上に積もる数メートルもの雪も直接水源になっている。

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錦鯉生産日本一。養鯉池の数、最盛期にはなんと5千!

山の斜面に千枚田のように段をなしているのは、池、池、池。
初めてこの地域の地図を見たときは驚いた。「山古志」の名は2004年の中越地震によって全国に知られるようになったが、小千谷市、長岡市、魚沼市にまたがる中山間地に広大な池文化圏を築いており、養鯉池は昭和45年ごろの最盛期には5千から6千もあったという報告もある。
山古志村は市町村合併により長岡市に編入されたが、当稿では棚池と溜め池を養鯉に利用するひとつの池文化圏として山古志周辺も含めた。
日本農業遺産。山古志のオフィシャルホームページや動画も素晴らしい。
近年は、きら星のような棚田群という日本の原風景の穴場撮影スポットとして注目されつつあり、SNS映えで老若男女が押しかける日も近いかもしれない。


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山古志の棚池(DRAFT 1.1)横井戸や水路トンネル、湧水が農業の水源だが、そのままでは水が冷たく稲には適さないので「温水ため池」を造った。



棚田を改造した棚池が8割を占める。

斜面のそこかしこにちらばる養鯉池群の景観を楽しめるのは小千谷市に属するの竹沢地区。川筋に沿ってすさまじい密度で小さな池が並んでいる。魚を飼育するための池がこれだけ並んでいるのを見れば、奈良県の大和郡山を思い出す。金魚の一大産地であり、水田のように並んでいる小さな池たちは金魚の養殖池だった。
ここ、新潟県の山あいにある山古志は全国はおろか、今や世界的な錦鯉の産地。錦鯉発祥の地ともいわれる。養殖池は小千谷市内だけでも2300以上(2013年)、昭和45年ごろの最盛期には5千から6千もの養鯉池があったようだ。
大和郡山の養殖池が平野の水田のように広がっているのに対し、山古志の養鯉池は山の斜面に造られた棚田を改造した「棚池」が8割を占め、残りは、ため池由来との研究報告もある。(中村勝栄 ・土田邦彦「新潟県山古志郷における錦鯉養殖地域の形成」1979)
水田の用水としては豊富な雪解け水からもたらされる湧水や、横井戸を掘っての引水が主となるが、冷たい水は稲作に適さないため、水源近くに設けた溜め池や棚池にいったん湛水させ、日光によって水をあたためる温水ため池としての機能のもたせていた。
錦鯉の養殖が盛んになってくると棚田の多くは養殖池として改造されたが、興味深く思ったのは、渇水期には養殖池の水を棚田に融通するなどの工夫や協力もなされているようである。
「マキ」と呼ばれる血縁集団による協働と結束が、今なお農業文化に深く根づいており、棚池文化とでもいうべき独自の伝統が守られている。


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中越地震によって巨大な河道閉塞湖が出現。

河道閉塞湖と木篭(こごも)集落

山古志は2004年、中越地震の被害がもっとも甚大だった地域である。地震によって池の堤が壊れ、大切に育てた鯉の多くが流出。壊滅的被害にあいながらも、海外での錦鯉人気にも支えられて立ち直った。元気な鯉たちと水をなみなみとたたえる棚池・棚田は復興のシンボルでもある。
一方、もともと川だったところが地震の山体崩落で堰き止められ、山古志に新たに二つの大きな河道閉塞湖を生み出した。「土砂ダム」や「天然ダム」という言葉は中越地震によって全国に知れ渡った。
河道閉塞湖のインレット側には、水没した集落の姿を後世に伝えるため、土砂に半ば埋もれた民家が保存されてもいる。
木篭(こごも)集落に直売所、駐車場、トイレがある。

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闘牛とニシキゴイ

山古志はかつて二十村郷とも呼ばれた集落の複合体。
おもな集落の名と特徴を覚えておくと、広い山古志で棚池めぐりをする際に方針が立てやすい。
豪雪と地すべり多発地帯という悪条件が集落の結束を育む。悪条件を逆手にとった棚池文化。また江戸時代に世界で初めて交配による観賞魚「錦鯉」を生みだした地。幕府直轄の天領にもなっており、国家レベルで重視されていた地域。
牛はおもに食用のほかレンタル用。といっても江戸時代の話。闘牛は『里見八犬伝』にも出てくる伝統行事。養鯉では棚田を改造した棚池を活用。

闘牛場と池谷集落

千年の歴史があるという山古志の「牛の角突き」は有料で観光客にも披露されている。全国各地に闘牛を行う地域はあるが、山古志だけの特徴は国の重要民俗文化財に選ばれていること、そして、勝敗をつけないこと。後者は結束が強いこの地域ならではの知恵といえる。
闘牛場のある池谷集落は、名にも暗示されているように古い河道閉塞湖が二つある。

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養鯉池の多い虫亀集落

虫亀集落も美しい棚池ビュースポットがあちこちに。訪れやすいスポットとしては、駐車場と売店のある「にこにこ広場」。
10月から11月は錦鯉を池から引き揚げて売りに出す時期ということもあって、池を訪れる外国人バイヤーの姿もちらほら。緑に包まれた山里の風景とはあまり似つかわしくない国際ビジネスの現場となる。

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山古志復興交流館おらたる

山古志の観光や文化について発信拠点。
ニシキゴイの歴史や展示も。テラスからは棚池ビュー。

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大蛇伝説と天然の池

大蛇伝説の池と種苧原集落・小松倉集落

最大の集落があるのは、美女をさらう大蛇伝説のある尼谷地の池(あまやちのいけ)をいただく種苧原(たねすはら)
この大蛇が水抜きによって池を追われ、牛の姿になって逃げ込んだというのが小松倉集落の男池。ここは山古志ではめずらしい天然湖沼であり、釣りが公認されている点でも希少。
男池の近くにある中山隧道は、かつて棚池に用水を引き込むための横井戸を掘った農業技術を生活トンネルに生かしたもので、歴史スポットとして駐車場、散策路などが整備されている。

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掲載している山古志エリアの池

  • 山古志虫亀の棚池(新潟県長岡)
  • 尼谷地の池(新潟県長岡)★★★大蛇と娘と牛の伝説。
  • 男池(新潟県長岡)★★★天然の池。釣りもできる。
  • 山古志闘牛場の「ため池」(新潟県長岡)
  • 山古志闘牛場の「ため池」(新潟県長岡)
  • 西山田んぼの棚池(新潟県長岡)
  • 池谷の河道閉塞湖(仮称)(新潟県長岡)
  • 中越地震の河道閉塞湖(仮称)(新潟県長岡)

 

地図