水辺遍路

実踏・日本の湖沼 6,650湖

獅子ヶ谷池(神奈川県横浜)

ししがやいけ。二ツ池公園。

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タナゴ釣り師であろうか。右手に釣り人の姿があった。

横浜の住宅地の中にある二ツ池公園。近くには三ツ池公園もあり、池や緑地が宅地の中で憩いの場となっている。三ツ池公園が駐車場やトイレを備えた都市緑地公園であるのに対して、こちらは昔ながらの景観や環境、動植物の保全を目的とした風致公園なので、工作物は最低限しかなく、動植物保護目的の立入禁止エリアも設けられている。
もとは江戸幕府開幕前後に築造された大溜池という名の古い溜め池。江戸中期に、駒岡と獅子ヶ谷の二つの村に水を分配するために中堤が設けられ、二つの池に分かれた。現在は合わせて二ツ池と呼ぶのが一般的だが、水利権のあった村の名をとって、それぞれ獅子ヶ谷池と駒岡池と呼ぶこともあるようだ。
中堤を造って池を分割してしまうほどだから、二つの村はよほど仲が悪かったのだろうか。興味深いことに、各村には、池と竜にまつわる別々の民話が残っている。登場人物やディティールはかなり異なるが、オチの部分は共通していて、大きな竜の体が横たわって堤になり、ひとつの池が二つになったとしている。
獅子ヶ谷の方が物語としてはドラマチックで、竜の生け贄になる娘があり、それを助けようと十匹の熊を助っ人に戦う男ありと、かなり激しい。
一方、隣の駒岡の竜伝説は、生娘の生け贄もなければ、熊も出てこないし、戦いもないが、その分、リアリティーがある。
なるほど、ひとつの話に対してもこれだけアプローチが異なるぐらいだから、池を分割したくもなるのだろう。
獅子ヶ谷池は岸ぎわまで道路と宅地が迫っているので眺めるのは容易だが、池全体と中堤が動植物保全エリアとしてフェンスが設けられ立ち入りが規制されている。公認の釣りゾーンは駒岡池の方にある。
駐輪場あり。駐車場なし。

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道路と池のあいだにはフェンスが設けられている。
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bunbun.hatenablog.com



獅子ケ谷村に伝わる伝説

(横浜市鶴見区オフィシャルサイトより抜粋)
 むかし、この池は一つの大池であった。池には竜神が住んでいたが、めったに出てこなかった。たまたま池に、石を投げると、あたり一面が急に暗くなり、強い風とともに大雨が吹きつけ、雷鳴がとどろき荒れ模様になった。そして、池の水は大きく渦を巻いて、その渦の中から火を噴き、目をつり上げた竜が、天高く立ち上がり、池のふちの道を通る人を殺す、といわれていたので、村人たちはその道を通るときは石を落とさないように、ぬきあしさしあしで通っていた。
 この竜神を鎮めるために、毎年、旧暦の12月になると、村から1人、いけにえを捧げることになっていた。もし、それをしなければ、竜神が暴れまわり、村が全滅するのだと言い伝えられていた。
 その年も、その時期がきたので、庄屋さんは、誰をいけにえにしようかと、頭を抱えていた。そして、「今年は弥助のところが一番不作であった。そうだ、弥助の子ども、タエにしよう」と思いついた。早速、弥助の家へ頼みに行った。
 しかし、タエには、将来を約束した蓑吉という男がいた。蓑吉は、熊使いの名人だった。蓑吉はその話を聞いて驚き、愛するタエのためにも、また、村人のためにも、竜を退治しようと決心した。
 蓑吉は飼い慣らした10頭の熊を連れて池に出かけて行った。池のそばまで来ると、蓑吉は池に石を放り込んで、大声で「村の者を困らせる竜よ、出てこい」と叫んだ。するといつものように嵐になり、ものすごい勢いで竜が出てくるなり「ガヨー」とほえた。そして竜は、1匹の熊をめがけて跳びかかってきた。
 それをきっかけに、すさまじい闘いが繰り広げられた。しのつく豪雨の中に、ときおり稲妻が光った。両者の戦いはいつ終わるとも知れなかった。が、やがて嵐が静まるころ、10頭の熊は、竜の体に噛みついたまま動かなくなった。竜も、最後の力を振り絞って、天高く舞い上がり「ギャー」という叫び声とともにばったりと、池の真ん中に倒れ落ちた。
 その竜の死体が堤となって、ひとつだった大きな池がふたつに分かれたのだと、獅子ケ谷村では言い伝えられている。
(昼間義信氏、横溝武夫両氏の話)