水辺遍路

訪れた全国1万1,300の池やダムを独自の視点で紹介

不忍池(東京都台東)

【しのばずのいけ。東京都立上野恩賜公園】

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不忍池のほんとうの素顔を知るためには、周辺の台地や高台を見る必要がある。消失した近くの巨大湖を含め、寒村だったころの風景をビル群のあいだに透かし見る歴史散策の醍醐味。

海跡湖から日本最古の公園池へ。

都心部にある池では最大クラスだろう。それでも昔に比べればはるかに小さくなっているというから驚く。
現在の不忍池は堤によって三分されており、鵜の池ボート池蓮池の三つからなる。ボート乗り場は80年以上の歴史をもつ。鵜の池は有料の動物園敷地に取り込まれており、フラミンゴやペリカンが棲むちょっと異様な光景がおもしろい。
もともとは東京湾の入り江だった場所が平安時代までつづいた海岸後退によって陸封されて生まれた天然湖という、これまた驚くべき来歴をもつ。
池名の由来はというと、戦国時代、池をはさんで東西の高台に屋敷を構えた太田道灌の家臣二家の子女が、池畔で密会をかさねていたが、これを妬んだ継母の横槍もあって若い男女は池で死んだ悲話によるという説がある。いつの世も、というか最近ではそうとも言い切れないようだが、若く燃える恋心は忍ぶことはできない、そんな意味だろうか。

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鵜の池。ペリカンがいる光景は異様すぎる!

そもそも江戸幕府の開幕によって、大都市「江戸」が開発される以前、多くの土地は沼だか池だか区別がつかないような人の住めない低湿地帯が広がっていた。
幕府の命による急ピッチの都市開発で於玉ヶ池、姫ヶ池、千束池といった規模の大きな天然湖が埋め立てにより消失しており(消失湖、ロストレイク)、不忍池もあわや埋め立ての危機にあった可能性もあるが、けっきょく琵琶湖をなぞらえた景観重視の改造がなされ存続した。
江戸に大名屋敷の庭園池は数多いが、民衆に開放されたものではない。春にはお花見で多くの江戸市民を集めた点においても、日本初の公園池とでもいうべきであろうか。


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競馬場時代の不忍池。天皇も招いた天覧競馬も行われていた。(画像はウィキペディアより)

競馬場から水田へと変転し、再び存続の危機を乗り越えて。

明治時代には上野不忍池競馬場を建設するために、さらに池を縮小させる工事が行われた。池のまわりを馬が走るコースにするためである。
戦後の食糧難を乗り越えるため、水抜きされて水田として利用された写真も残っている。
戦後復興の中で、野球場案などで一度は埋め立ての危機に立たされたが、池を残す方向の決定がなされた。
やがて池の周囲は戦後から都内屈指の一大文化ゾーンへと成長し、国立西洋美術館、国立科学博物館からパンダで話題の上野動物園も。
東京大学、東京芸術大学も池に近く、文化の杜という言葉がふさわしいが、周辺の町は下町らしい顔も持っていて親しみやすい。
江戸時代からの一大お花見スポットは、今も健在。

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ボート池

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蓮池


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案内板。上野動物園、国立西洋美術館、国立科学博物館、東京国立博物館。その他、東京大学、東京芸術大学が隣接している。
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江戸時代と明治時代の埋め立てによってかなり小さくなったとはいえ、都心にありながら周長1.5kmを誇る堂々たる天然由来の池。池の外周が競馬場のオフィシャルコースになっていた時代があったことを考えると、競馬場スペックに合わせて池の形状や外周が改造されたんですね。競馬法施行令では中央競馬場は一周1600m以上という規定。ぴったり!

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競馬場時代の不忍池(画像はウィキペディアより)