水辺遍路

訪れた全国1万1,100の池やダムを独自の視点で紹介

馬場池(香川県高松)


ほんとうの絶景は心の中にあるのかも

緩やかな斜面に林立する住宅にはさまれたこの小さな空き地に、かつて鬱蒼と水草をたくわえた小池があったことを知る人も少なくなってきただろう。近くには屋島ケーブルカーの駅があり、イイダコおでんの匂いが漂う食堂をはじめ、ちょっとした参道のような賑わいだった。
今や動くことのないケーブルカーは廃墟の空気を強調するかのように赤錆をまとい、軒をつらねた店も多くがシャッターをおろしてしまった。池も埋められ、空き地にわずかな余韻を残すのみ。中学生時代に聞いた「ババ池」という名が正しいのかどうかも、もはや分からない。
それでもここを訪れるたびに少年時代に見た心象が二重写しとなって、この何でもない空き地が胸を騒がせる。それはどんな絶景よりも変えがたく忘れられない、私にとってはかけがえのない風景だ。
全国の池をめぐってきて思う。多くの池は皆が求める絶景とは違うかもしれない。しかしどんな池も、必ず誰かの心の風景になっていることを私は知っている。四十年前の人かもしれないし、二百年前の人かもしれない。あるいはたった今、それを心に刻みつけている人かもしれない。
そんな池を訪れ、会ったこともない誰かの思いを重ねて池を眺めるのが、けっきょくのところ私が池を愛してきた一番の理由だったように思う。
そういう意味で、原点はこの池だったのかもしれない。

少年の心の原風景

1980年代まで、ここには民家にはさまれて「ババ池」という池があった。ハスが水面を覆い尽くし、わずかに水面がのぞいているところには潜水艦を思わせる巨大なライギョが頭を出し、あの「こぽっ」という呼吸音が響く。
ハスのあいだにフロッグを落とせば、容易にモンスタークラスが食ってくる。とはいっても引き上げるのは容易ではない。最終的にはバラしてばかり。取り込み寸前のひと暴れでバラした大物の黒々とした魚体は今でも目に焼き付いている。悔しいというより、ほっとしていた。びっくりするほどの頭部の大きさ。フックはずしのペンチを忘れていたので、どうしようと頭はそればかり。
歩いてすぐの屋島中学校に通う釣り好きにとっては放課後のちょっとした時間で行けるスポットだった。バンタム、マグサーボ、ストレーン、ハリソンスーパーフロッグ・・懐かしく、憧れの道具たちも。中学生にはあまりにもまぶしかった。もう40年近く前の話である。

奥に見えるのが屋島中学(2018年撮影)


 

青年時代に再訪すると

その後、関東地方に引越すことになったが、大学生になりオートバイの免許をとってから、まず行ってみたいと思っていたがのが少年時代を過ごした四国や九州の思い出の池たち。しかし懐かしの屋島中学校に戻ってみると、池はなくなり更地になっていた。
新婚旅行でもオートバイで訪れた。娘が中学を卒業するときや、オートバイ仲間の墓参の帰りになど、何度もここを訪れたが、ついに跡地さえも分からなくなってしまった。

bunbun.hatenablog.com


 

本気で痕跡を探す

2018年、本気で痕跡を探そうと雨の中、歩いてみた。屋島ケーブルカーはすでに廃線となり、駅舎と車両はかなりの廃墟感が漂う。
屋島に一直線にすっと線を引いたような軌道を、ケーブルカーがまんなかあたりですれ違うのをよく見ていたのに、軌道も遠からぬうちに木々に埋もれてしまいそうだ。

屋島ケーブルカー

歩行者しか通れない狭い路地に入ると、民家の裏手に小さなくぼ地を見つけた。横に水路が流れている。今はくぼ地をバイパスさせているが、水を流し込んだとしたらここが馬場池であったと考えておかしくない。
「ババイケ」という名前も中学校の誰かから聞いただけなので、記憶が正しかったとしてもそもそもそういう名前の池だったのか定かではない。
空き地のかたわらに、小さな看板を見つけた。「新馬場」の文字があった。
ただ記憶では池は道に面していた。場所の記憶の方が間違っているのかもしれない。100mほど南西にも池がある。



 

あの日の少年も、おじいさんに

娘のお腹には男の子がすくすく育っている。もう二ヶ月もすれば出産予定日。不思議なものだ。この池で釣り竿を振っていた少年も、まもなく孫をあやす「おじいさん」になる。
また、あの心の風景に会いたくなってやって来た。

屋島ケーブルカー跡

車両の朽ち度はアップしていたが、車内に入れるように扉が開かれていた。サービス?


通っていた中学校

駅舎の後ろにあるのが中学校。駅舎も校舎も通っていたころと変わっていないような・・。

通学路

通学路もあまり変わっていなかった。川沿いののどかな道で、五剣山と屋島が大きく美しかった。心の原風景。