かまいけ。
その池は、夫を殺されてこぼした女大蛇の涙。
百名山・雨飾山(1,963m)の山腹に静謐な水鏡を湛える鎌池は、百名山の作者である深田久弥の「雨飾山」の項にある言葉を借りれば、まさに久恋(きゅうれん)の池だった。
最初にこの池の存在を知ったのは、通りすがりの道の駅。カーナビゲーションの地図に、10kmほど離れた山腹に池が映しだされていた。ただ、国道をはずれた分岐道を往復30kmほどは走らねばならなさそうだった。時間はかかりそうだったが、孤高さに惹かれるものを感じて行ってみることにした。
池までほぼ一本道の県道に入ってからは運悪くダンプカーの後ろでのろのろと長い時間を走ることになった。
山あいの湯治場の風情を漂わせる小谷温泉(おたりおんせん)を通り過ぎたあたりで、とつぜん工事通行止めに出くわした。当時は、まだ若く元気だったころだったこともあって、クルマをここに置いていくからランニングで鎌池まで行ってはだめかと工事の人に交渉したが叶わず、引き返した道のりもまた長かった。
そんなことからこの池のことはいつもどこか頭のすみにあった。
秘奥の孤湖と思っていたが、鎌池には鉈池と隠居池という二つの小さな池がお伴するように寄り添っている。三つの池の成立には夫婦の大蛇にまつわる伝説があって、村人に糞尿攻めにされた挙げ句、夫を焼き殺され、すみかとしていた池を追われた女蛇が野尻湖へと逃げる途中、落とした涙が池となったという。
この伝説でもともと夫婦蛇が棲んでいた池は「向池」という名で、新潟と長野の県境近くにあったようだ。蛇退治のためとはいえ村中の糞尿が投げ込まれた向池はその後どうなったのか調べてみたが、向池という名の池の存在はまだ特定できていない。
ただヒントは伝説の中にある。鎌池が野尻湖への逃避行の途中に落とした涙の跡だとすれば、野尻湖から鎌池をつなぐ直線をのばしたとき、長野・新潟県境と交わる交点に池があれば・・。
あった。
雨飾山の西麓側、県境にからみつくように白池、蛙池、角間池という三つの池。白池は県境から新潟県側に50m、角間池は長野県側に50m、蛙池にいたっては県境をまたいでいる。
山は心をあとに残す方がいい、と言った人がある。一ぺんで登ってしまうよりも、幾度か登り損ねたあげく、ようやくその山頂を得た方がはるかに味わい深い。私にとって雨飾山がそれであった。
(深田久弥『日本百名山』31/雨飾山)
深田久弥は一度目は北麓の雨飾温泉から、二度目は南の小谷温泉からこの山の頂をうかがっていたものの登頂を果たしたのは三度目で、その感慨を「ついに私は久恋の頂に立った。」という一文で表している。
小谷温泉(おたりおんせん)に泊まり、紅葉のまっさかりに登っている。現在は、鎌池近くの分岐道をクルマで進んだ先にある雨飾キャンプ場が登山口となっているから日帰り登山も可能だろう。
不思議なのは雨飾山に何日も費やしながら、錦秋一色に塗りつぶされていたはずの鎌池について一言の言及もないことである。山に詳しい地元の人をガイドに連れていったというから、登山ルートから500mほどはずれただけの鎌池を深田に薦めなかったとは考えにくい。久恋の頂を目の前にして、脇目も振らずという心境だったのだろうか。
鎌池は標高1,190mにある天然湖で、一周2km、40分の遊歩道がつけられている。
池畔から少し離れたところに駐車場、トイレと、ぶな林亭という食事ができる休憩所もある。
前山にあたる大渚山の独特のフォルムが湖畔の樹上に顔を出していたが、フトンビシに鎧われた雨飾山の双耳峰はうまく見つけられなかった。
池岸は草木に塗り込められた小さなワンドが次々と現れ、葉のあいだから湖面がのぞいている。やがて木道で渡れる細長い島。さながら湖面に浮かぶ、もみじ舟のよう。このあたりの景観が鎌池のハイライトだろう。
魚影はなかなか濃い。ふな類、モツゴ類のほか、野鯉もいた。小谷村公式サイトによるとトラウト類もおり、池の主の鯉もいるとのことだった。また雨飾キャンプ場サイトによると、周辺の渓流は入漁料が必要なものの、鎌池については釣りは「フリー」とのこと。
池の水は小さな吐き出しから30mほど離れた鉈池に流れ出しているようだ。
池の北西側がインレットで小さな流れ込みが浅瀬の汀をつくっている。もうひとつの隠居池から流れ込むものなのかは確認できていない。
釣りと合わせて次回のテーマとしよう。謎の「向池」探しも。
マークした場所は駐車場。
- 作者:深田 久弥
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