水辺遍路

実踏・日本の湖沼 6,850湖

大堤跡(岩手県奥州)

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人柱によって数百年、決壊することなく地域を潤してきたという大堤も、今は堤跡に石碑が立つだけであった。

人柱の悲話伝説が今に伝わる消失湖。

その歴史と存在感から本来であれば胆沢扇状地の野池群の代表格といっていい溜め池だと思うが、現在、その姿はない。
周辺は豊かな農地が広がり市街地化が進んでいるわけでもない。ほかに溜め池やダムも点在するエリアなのに、なぜ大切に守られてきたこの池が消失したのかさだかではない。
昭和60年に町民演劇の題材として、この大堤にまつわる人柱伝説が採り上げられたことを記念する案内板が立っていたから、消失したのは昭和以前。
人柱をたてる前は再三、決壊したというが、自ら願いでて人柱となった娘の霊験か、数百年も保たれた均衡がどこかで崩れてしまったのか。
堤らしき痕跡が面影として感じなくもないが、明確にどこまでが池で、どこが堤だったのかを指呼することはできない。池があったであろう場所を見おろす小高くなった道ばたに、大小のいしぶみが、なかば草葉に隠れて並んでいた。
人柱伝説については以下に、胆沢平野土地改良区の公式サイトから引用。

浪華の武士盛遠は、町人の娘と恋におち、娘は自害する。盛遠は武士を捨て、名を文覚と改め、みちのくに逃れてきて農業を始める。文覚は堤の築造に情熱を傾けるが、堤は二度も決壊し、地域の人びとが人柱を主張するものの、文覚は、残酷なことをしなくとも堤はできると言って対立する。しかし、三度目の堤も決壊する。
やがてまた、大堤の工事が始まり、人柱のことで文覚が悩んでいると、彼の前に人柱を申し出てきた娘が現れる。娘は浪華の商人の娘であったが、育ての母が世を去る時、わけあって娘の両親がみちのくに逃れていることを知り、訪ねて来てみたら、実の父母も亡くなっていた。人柱の話を聞いて、村人のためにと人柱になる。その娘は、文覚が結ばれなかった昔の恋人そっくりであった。
大堤は数百年経っても決壊せず、文覚は堤の上に碑を建てて、娘を供養したというのである。
水土里ネット胆沢平野の公式サイトより抜粋)

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マークした場所に案内板。