水辺遍路

実踏・日本の湖沼 6,750湖

水金遊郭水源池(仮称)(新潟県佐渡)

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佐渡相川の水金遊郭ありし日の想像ノ図。水源池は今も集落の奥にある。

前夜は相川の祭りだった。相川は江戸時代、佐渡金山で栄えた町。
町はずれに、地図には出ていないダム湖を航空写真で見つけ、行ってみたいと思っていた。
航空写真で見る限り、海からわずか350mという立地に、古びてはいるが立派な重力式コンクリートダムと思われる堰体がある。
ダム下の集落は相川の町はずれであり、集落の数は多くはないのに、どうしてこんな立派なダムがあるのか、ぜひ訪ねてみたいと思っていた。
海沿いの国道からわずか350mだが、日没が近づいていたのでオートバイへの給油を優先させた。ガソリンスタンドの多くは5時には閉店してしまうので、少々、焦った。ここで祭りの話を聞いた。

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この道の先を山の方へ進んでいく。


翌日、日の出とともにオートバイで再出撃。
海沿いの国道から水金川へと折れる道は民家が立ち並び、戸にはまった硝子ごしにおばあさんが、つら〜っという視線でこちらを見ていて、どぎりとした。早朝に見知らぬバイクが集落の路地に入っていったら不審にも思うのもやむない。その目が警戒心とかそういう類いのものではなく、ただただ、つら〜、っという目だったのが印象に残っている。
川に沿って道は小さくクランクしており、数軒で民家は突きて川沿いの猫の額ほどの畑を抜けていく。道幅は軽自動車がやっとという感じだったが、まもなくオートバイでもぎりぎりという感じにまで両側から草がせり出してきた。
この様子では管理がどの程度なされているのかもあやしい。何のための立派な水源池なのか、ますます興味が高まる。

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水はさらさらと流れているが、道はほとんどヤブ漕ぎ状態。


ほどなく行き止まりになった。徒歩でも進むべき道は見あたらない。砂防ダムならともかく、水源用の重力式コンクリートダムなら管理道がないというのも、ありえない気もするのだが。
ただ、水源池の関連施設と思われる小屋がある。そこから踏み跡といえば踏み跡に見えなくもない草のくびれも見えるが、マダニが怖いのでこれ以上の進撃をあきらめた。

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あとで航空写真で確認すると、堰体直下まで70mの地点だった。堰体上のダム湖に出るには、どういったルートがあるのか分からないが、左側にもヤブ漕ぎ半分の踏み跡があった。航空写真で見ると、なんとなく木々の切れ目らしきものが堰体上につづているようにも見える。これがルートなのかもしれない。
ここからは帰還後の座学となるが、かつて水金川の上流では「水銀流し(みずかねながし)」という水銀を使った金、銀の精錬が行われていたという。水金川の名もこれにちなむと思われるが、一般的にはアマルガム精錬という。
有毒物質で鉱毒事件にもなっている水銀だけに、川の上流で水銀を使った精錬が行われていたというのは、驚くべき話だ。そして川を下った先には、両岸に十一軒の遊郭の灯りが水面に漂う。
江戸時代には遊女と若侍との心中事件もあった。その後、明治、大正を経て昭和10年ごろまで遊郭は残っていたという。今は空き地となった場所に案内板とともに遊女の供養碑がぽつんと立っている。

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水金遊郭の遊女の供養塔と案内板。

地図から消えた立派なダムも、この歴史と何らかの関わりがあったと考える方が自然だろう。
ふつうなら土地の歴史から消し去りたい事実のようにも思うが、ここ佐渡ではわざわざ案内板を用意して、遊郭の事実とともに、さらりと書き残している。佐渡の人たちがすごいと思うのは、こういったところだ。外来魚駆除などどこ吹く風、本土の流れなど関係なく泰然としている。
そういえば、国道から路地に入るときに見た、おばあさんのつら〜っというまなざし。昭和10年に十代の芸妓がいたとすれば、現在、百歳前後ということになる。

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佐渡の代表的な地酒。小佐渡の「北雪」、相川の「金鶴」、加茂湖の「天領盃」。ほかに真野湾の「真野鶴」がある。遊郭でふるまわれていた酒は、やはり地元の「金鶴」であろうか。


マークした場所にダムがあるがマップ上の記載はない。航空写真に切り替えるとダム湖が確認できる。