水辺遍路

実踏・日本の湖沼 5,900湖

水上池(奈良県奈良)

みずかみいけ。みずがみいけ。佐紀沼、佐紀池、狭城池。
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古墳を従えた、ダブル・ミレニアム浪漫のため池。

「なんとおおきな・・」で710年と年号暗記した35年前の記憶がいまだに残る平城京。
今から1300年前の奈良時代の政治的中心であった碁盤目状の平城宮の北はずれにある水上池は、今も周囲を大小いくつもの前方後円墳群に取り囲まれ、航空写真を見ると護衛艦に守られて北上する航空母艦のような怒濤の迫力がある。古墳を従えるとは、なんという悠久。

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周囲1.5kmクラスで台形形状の池は、ど真ん中を東西に横切る中堤がある。水質は堤の北と南で異なることもあり、水門で締め切ることもできるようだ。
南西側に朽ちて崩落した大量の釣り桟橋が撤去されないまま残っている。過去に、へらぶなか鯉の大規模な釣り場として利用されていたと考えられる。

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池から200mほど南には県道をはさんで広大な平城宮跡地がある。あまりにも有名な場所のわりには、それほど観光化されておらず、茫漠とした空き地のような感じで、かえってそれがよかった。

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池の構造としては完全な皿池タイプであるが、明瞭な土盛りの堤は確認できず、周辺の土地より水面が下にある掘り込み型。
岸の南岸側は民家が狭りコンクリートで護岸。北側はアシが茂る自然護岸でさまざまな野鳥も訪れる。

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かきつはた 佐紀沼(さきぬ)の菅(すげ)を 笠に縫ひ
着む日を待つに 年ぞ経にける

(読み人知らず・万葉集11巻)

万葉集に詠まれている佐紀沼は佐紀沢とも呼ばれ、語源はカキツバタなどが「咲く」が転じたものということで、なんとも美しい池名であるが、この佐紀沼が現在の水上池ではないかと考えられている。


をみなへし 佐紀沢に生ふる 花かつみ
かつても知らぬ 恋もするかも

(中臣女郎・万葉集4巻)


上の歌は、宮中の女性が万葉集の編者である大伴家持に送った熱烈なラブレター。こんなにあなたのことが好きになるなんて、という内容を技巧を凝らして歌いあげている。それにしても自分への熱烈なラブレターを自らが編集している万葉集に入れるあたり、家持もなかなか憎い男である。

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さらに古く「日本書紀」には西暦6年に全国各地に800の池を築造したとあり、その中に「大和(やまと)」の「狭城池(さきいけ)」という具体名が挙げられている。字が異なるものの、これが佐紀沼ではないかとする説もある。
水上池については江戸時代に築造された記録もあるが、この時代には古くからある池を大規模改修してスペックアップすることが全国的に流行していたので、可能性としては水上池はミレニアムどころかダブル・ミレニアム・・じつに二千年もの月日を経てきた日本最古級のため池とも考えられる。
現在、一般的にいわれているところの「日本最古のため池」は大阪府の狭山池とされているが、築造は7世紀前半とずっと後のこと。ただ、狭山池に関しては「最古のダム式ため池」という制約がつく。つまり水上池のような皿池タイプは候補として除外するという意味ともとれる。

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しかし困ったことに、「日本最古のダム」といわれる池がもうひとつある。
根拠はやはり日本書紀だが、女性天皇として有名な推古天皇の時代の7世紀前半に「高市池、藤原池、肩岡池、菅原池」の四つのため池が造られたとあり、このうち菅原池にあたるのが現存する蛙股池(奈良市)ではないかというのである。
しかしこの蛙股池はなかなかのくせ者で、さらに古い西暦162年築造説のほか、弘法大師と並ぶため池造りのプロフェッショナル・行基が手がけたとする説もあり、諸説割拠がゆえにオフィシャル最古の栄冠が狭山池に与えられているといえる。
逆にいえば今後の研究や資料の発掘によって日本最古が塗り替えられていく可能性はじゅうぶんある、というより、紀元前に800ものため池が造られたという記述がある以上、最古のため池はまだまだ他にあるはず・・と、また浪漫妄想がひろがっていく。