ジュンサイ生産の全国シェア9割
古くは万葉集に「ぬなわ(沼縄)」の名で詠まれ、夏の季語でもあるジュンサイ。水がきれいな好環境の池沼でしか自生できず、水分が9割を占めることから「食材のエメラルド」とも呼ばれる。かつては日本全国の池沼に自生していたが、池の改修や水質悪化が原因で今では首都圏および沖縄の4都県で絶滅。22県で絶滅・準絶滅危惧種という状況にある。
日本一のジュンサイ生産量を誇る秋田県三種町では、ため池や水田を改造した人工のジュンサイ栽培池のほか、自生している池沼も見かけた。生産シェアはなんと9割にのぼる。
地形的要因
もともとこの地域は八郎潟の衛星沼沢群に加え、溜め池と水田が広がる地域。ジュンサイの生育環境として最適な水深50〜80センチの浅場が多い池沼も豊富だったことに加え、世界遺産の白神山地と出羽丘陵を水源とした清冽な伏流水に恵まれていたので、池沼の水質を維持しやすかったのだろう。雪に埋もれている期間が長いことも、水質維持の上で有利だったのではないかと思う。
しかし当初の三種町では、ジュンサイは家庭での消費にとどまり商材と見られてはいなかった。ジュンサイ収穫の代名詞である「箱舟」も当時は使われておらず、水に腰までつかってのきつい作業だったと現地の人に聞いた。
商材としての転機
三種町出身で兵庫のジュンサイ加工会社に女工として勤めていた女性が、故郷にはジュンサイがたくさん生えていると語ったのをきっかけに、昭和11年、この会社の社長が角助堤を訪れて良質の天然ジュンサイに出会う。それまでは関西の溜め池で採ったジュンサイを扱っていた。その後、この土地に加工や商品化のノウハウを伝授し、三種町のジュンサイが世に出ることになった。
水田をジュンサイ栽培池に改造
能代平野の水田地帯だったが、国の減反政策により転作作物としてジュンサイに着目。1987年(昭和62年)から3年間のジュンサイ転作奨励事業で水田や溜め池をジュンサイ栽培池にする改造がいっきに進み、生産は1991年にピークを迎え、生産者も千名にのぼった。
ジュンサイ栽培池の水源としては、20km以上離れた素波里ダムからパイプラインで水を引いている。巨大なタンク式のファームポンド(調圧水槽)も栽培池の密集地帯に見られた。
現在、生産者は半減し500名。70歳を越える人が半数を占める。
若手としては安藤農園の安藤さんが中心となって、ジュンサイの新たな付加価値付けや体験型農業の導入など、再起への取り組みを行なっている。
ジュンサイ栽培池のタイプ
棚池タイプ
棚田を改造した池。収穫用の箱舟は屋根付き。
余水吐なのか流入口なのか分からないが、水底からパイプが出ていた。
溜め池(皿池)タイプ
農道沿いの高台にぽつんと独立した立地のジュンサイ栽培池。水深は水田タイプより少し深そう。池岸の一部にヨシの群落。
道具置き場らしき小屋と、収穫用の和舟。和舟は箱池ではなく舳先が絞られている。
溜め池(谷池)タイプ
役場に谷池を改造したジュンサイ栽培池の場所をおしえてもらったが、現地に行ってみると確かに谷池に適した地形であるが、下段のものは棚田タイプにも見える。上段のものは谷池の形態が残っている気もしなくもないが、想像していた大きな溜め池ではなかった。
水田タイプ
金岡西部地区農免道路周辺が水田タイプのジュンサイ栽培池が集まるジュンサイ池ストリート。
アクセス性もよく観光農園向き。
近くの天然沼沢
名前や由来が分からないが周囲長900mクラスの天然沼沢の様相をもつ池にはジュンサイがびっしり。溜め池の可能性もあるが、栽培池が広まる前のこの地域の沼沢はこんな感じだったのだろう。
近くの溜め池
二段の溜め池で取水設備も見られる。
ただ、生えている水草はジュンサイではなくヒシモのようだ。水質が悪いとこうなってしまうのかもしれない。
調圧水槽(ファームポンド)
ジュンサイ栽培池ストリートの一角には巨大な調圧水槽がそびえる。
ジュンサイ池の水は、はるか20km以上離れた素波里ダムからパイプラインで水を引いている。
案内板
地図
マークした場所は、ジュンサイ栽培池の「石川さんの沼」