水辺遍路

訪れた全国1万1,100の池やダムを独自の視点で紹介

呉錦堂池(兵庫県神戸)

【ごきんどういけ。宮ヶ谷池】
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日本の地名から中国の人名に改称した池。

神出野池群のひとつ。
太い尾を長く引く立派な池である。周辺は皿池タイプが多いが、形状的にひとり呉錦堂池だけが谷池タイプを張っているのもおもしろい。
池は神戸と三本木の境界上にあり、地域の農地開拓の歴史を今に伝えるシンボル的な存在として、顕彰碑や案内板も立っている。池岸には神出の里のサイクリングロードもあり、ちょっと歴史に思いを馳せながら休憩できる場所である。
地図を見て不思議に思った人もいるだろう。宮ノ谷池とか宮ヶ谷池と記載されているものもある。Googleマップ(2019年時点)では宮ノ谷池、現地に新しく立てられた大型の池案内板には宮ヶ谷池と記されている。
「呉錦堂」は実在した中国人華僑の人名であるが、もともとは地名からとった宮ヶ谷池という名を昭和32年に地元住民の総意で改名されたという意外な歴史がある。
中国人の呉錦堂さんは明治時代、日本を拠点に行商から身を立て、のちに貿易で財をなし大実業家として日本に帰化した。彼が20年の歳月と私費を投じて大正6年に完成させた溜め池が、この池であった。明治には立派な人もいたものである。
日本人の名が海外の池の愛称となった逆パターンもある。
日本人が台湾で池造りに貢献し、現地で顕彰された事例もある。「八田ダム」こと、台湾の烏山頭ダム(うさんとうだむ)である。完成当時は世界一の巨大ダムだった。
ダム技術者の八田与一は、台湾の教科書にも出てくるほど現地の尊敬を集めた日本人で、ダムサイトには銅像も立つ、というより正確にはすわっている。
2017年4月に八田像の首が切り落とされる事件が発生、日本のメディアでも報じられた。中国や韓国で反日感情が高まっている時勢のなか、ひやりとした覚えがあるが日本人の受け止め方は冷静だったと思う。というより事件を知らなかったのかな。
とにかく、八田の命日までには修復したいと奔走してくれたのも現地の人たちだったことを付け加えておきたい。


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呉錦堂池の由来。下は呉錦堂氏の顕彰。
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