水辺遍路

訪れた全国1万1,300の池やダムを独自の視点で紹介

古池の長池(兵庫県相生)

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相生市街地の辺縁にある池。地名は古池だが池の名は長池ということで「古池の長池」となる。
江戸時代に築造された農業用溜め池で、1990年代に小学校建設のために池の半分が埋めたてられた。なるほど航空写真をじっと見ると、現在の池の倍ほどの昔の形状が浮かび上がってくる。
小学校側の岸はスパっと断ち切られたような直線のコンクリート護岸。ほかは山側こそブロック護岸がされているが、北側の住宅地側には石積み護岸もあり古いものかと思ったが、よく見るとコンクリートの段差護岸が水中にあるのが見えた。
池はほぼ全周を学校と住宅に囲まれており、どこが堤だったのか判然としない。
水位は1mほどの増減がありそうな痕跡が見られた。どこでコントロールしているのだろう。
本来の灌漑用としての機能は失われているかもしれないが、池畔には住民の手づくり感のある長池花壇や長池公園というミニ公園、水面にはかわいい水鳥の小屋も浮かび、長く地域に愛されている感じがする池だった。
もうひとつ気になったのが、小学校側の岸寄りの水上に鎮座する古い石造りの鱗塚(うろこづか)。花壇とはちょうど対角線上の対岸になる。
享保か、天保か、刻印された文字がよく読めないが、いずれにしても江戸時代のもの。
鱗塚は大蛇退治の供養だったり、釣り池などで魚の供養碑として全国で散見されるが、これほど古いものは初めて。
なんでもこの池の主だった大鯉が死んだときに建てられたという話だが、ひとさまのお墓でさえこれだけ立派なものは大変なのに、どれだけすごい鯉だったのか。そのときの村人の驚愕と畏敬。ああ、見てみたかった。

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鱗塚。ふだん土台は水没している。土台のまわりに礫が敷かれているが、あるいはこの塚の下に巨鯉の骨が?


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石積みの護岸も見られる。


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