川をあえて氾濫させる防災とは?
松浦川の河川敷に、あえて洪水時に水があふれだすエリアを設けたのがアザメの瀬。
これまでの河川防災は、増水時にダムで流量を調節し、堤防を強固にすることで生活エリアへの水の浸入を食い止めてきた戦いだった。
ここアザメの瀬では住民との合意のもとで、川べりの休耕田を5m掘り下げて低湿地にし、河川増水時にはあえて水びたしになるようにした。もともと河川敷はそういうものだった。生活のために嵩上げを行ってきたものを、もとの自然の姿に戻したのである。
ハードでひたすら守るスタイルから、あえてあふれさせて共生するという発想の逆転。
昔ながらの生態系を取り戻せるメリットだけでなく、洪水は起こるものと認識させる防災教育面もあろうか。運営は地元主体ではあるが国交省がバックで動いているので、国土の未来の姿を探る実験場ともいえる。既存の遊水池や調節池と似た役割であるが、巨大プロジェクトを一方的に推し進めるのではなく、地域住民との話し合いと小さな工夫とカイゼンを重ねるという進め方が新しい。
「アザメの瀬 湿地の転生」として2017年土木学会デザイン賞受賞。
以下の囲みは全国紙の記事より引用。
「自然を使った防災は、世界的には主流。日本は転換しきれていない」
川岸の水田を5メートル掘り下げて湿地に戻し、川をあえて氾濫(はんらん)させて洪水を制御する。
国土交通省武雄河川事務所長だった島谷幸宏(しまたにゆきひろ)(62)が、佐賀県唐津市相知(おうち)町の松浦川右岸の「アザメの瀬」で始めた試みは、住民や職員にも理解してもらう必要があった。2001年11月、町内会の役員ら約50人が集まり、参加自由の検討会が始まった。
島谷は、住民がこれ以上自然を増やすことに意義を感じるか心配だった。が、意外にも「コンクリート護岸にしたので魚がいなくなった」「泳げなくなった」などと、自然が減っていることに危機感を持つ人は多かった。
では、どんな湿地にしたいか。白紙から住民と話し合った。「子どもたちが田植えや釣りをする場所が欲しい」「土砂を止め、水勢を弱めるから、竹林は切らないで」。そんな要望を反映させていった。島谷が、住民の言う通り現場で白線を引き、池の場所を決めて工事を始めたこともあった。
検討会は島谷が九州大教授に転じた後も開かれ、135回続いている。早期に自由参加の会議を始め、官民の合意形成につなげる手法は、17年7月の九州北部豪雨の後に福岡県朝倉市で取り組んだ集落会議に受け継がれた。「このプロセスが大事。自分たちで計画した場所は大切にする」と島谷は言う。
事業開始から15年。最初は赤土が広がるだけだった湿地は、大雨のたびに川から水があふれ、魚が移りすみ、自然と草木も生えた。昔のような「アザメの瀬」がよみがえった。
住民は02年に「アザメの会」を結成した。草刈りなどの管理をしながら、地元の小中学生の体験学習の世話をしている。最初は学校に利用を呼びかけても「事故があったら」と断られたが、今は毎月のように子どもたちが川遊びや自然観察などで訪れる。
県外から泊まりがけで来る人もいて、地域おこしにも貢献する。会の結成当初から事務局長を続ける旧相知町職員の江里孝男(えりたかお)(68)は、右岸に運動公園を整備するよう要望していた。「後から思えば瀬にしてよかった」
ただ、実現できたのは、瀬の向こうが民家のない里山で、氾濫しても人的被害が出にくい場所だったから、と関係者は口をそろえる。後に続く例はまだない。島谷は言う。「世界的に自然を使った防災は主流化している。日本は転換しきれていない」
(朝日新聞2018年8月1日の記事より)
マークした場所は駐車場