柳川藩主の別邸として堀割の中に造営された。堀に囲まれた庭園と見ることもできるし、島に邸宅があるようにも見える。クリークが張り巡らされたこの地域では、一般民家でもそんな感じになっている。
案内板によれば「お池」は、庭園池とは別に設けられた松濤園(しょうとうえん)の泉水用の溜め池だという。いってみれば、池のための池である。
外堀と通じる水路には屋根がかけられ奥ゆかしい。船着場、ボードウォークも。
そういえば明治政府の重鎮、山縣有朋も別荘の庭園に引く水のために円形の貯水池(山縣水道水源池)を造った事例を思いだした。
松濤園は邸宅の泉水式庭園部分で入園は有料。
案内板には「水の構図」と題され、うれしい解説が。
外堀より導かれた水は東庭園ため池に留まり
その上水は松濤園へと導かれる。
松濤園より溢れでた上水は、お堀の下を通り
下流粋の矢留地区水路へと導かれる。