松尾鉱山跡。貯泥ダム。
半世紀前の「東洋一の鉱毒」を今なお中和しつづける。
八幡平(はちまんたい)の中腹、標高900mのなだらかな山麓に、かつて東洋一といわれた硫黄の鉱山があった。
この松尾鉱山は1969年に廃坑しているが、その後、坑跡から出る大量の鉱毒水が赤川を経て北上川をも死の川にし、社会問題化した。
7年後、「東洋一の鉱毒水」を無毒化するため中和処理施設が造られ、現在もなお24時間体制で稼働している。
「貯泥ダム」や「貯泥池」と呼ばれる池は、処理施設の一部であり、「泥」とは言いつつ実際には有毒物質を沈殿させるためのものである。「貯泥」という言葉があてられているが、鉱山などに見られる同様の池は通常「沈殿池」や「堆積場」、これを形成するダムを「鉱滓ダム」(こうさいだむ・テーリングダム)と呼ぶ。
貯泥ダムの堰体。堰体の一部に水路も見える。
廃アパートのすぐ後ろに見える土手のようなものは、貯泥池の堰体だ。
左上に見える池は御在所沼。右上にあるのが貯泥池。その左上にはよく目をこらしてみると鉱山の廃墟群も見える。
かつて1万5千人の鉱山職員と家族が暮らし「雲上の楽園」とも呼ばれた標高900mの空中都市。当時は最先端を誇った松尾鉱山の居住施設。写真の貯泥池の左上に廃墟となったアパート群が見える。
鉱毒についての案内板と立入禁止看板。
マークした場所は売店と資料展示室、トイレのある大駐車場。