戸ノ口堰水神社。
白虎隊が抜け道に使った長さ150mの用水トンネル。
戸ノ口用水は、猪苗代湖の水を会津に引くため、江戸時代初期から江戸末期まで段階的に工事が行われた。
戸ノ口堰洞穴は、会津若松に到達する最後の関門だった飯盛山を掘り抜いた長さ150mの用水トンネル。もともと飯盛山を迂回するルートがとられていたが、たびたび山の斜面崩落に悩まされ、会津藩士・佐藤豊助らによって天保3年(1832)から3年の歳月をかけて飯盛山を突貫した。
5万5千人を動員したこの事業は、天保の大飢饉の失業者対策の意味もあったようだ。
慶応4(1868)年8月23日、戊辰戦争の戸ノ口原の戦いで敗走した白虎隊20名が抜け道として使い、会津若松の城下町が炎上しているのを見て、鶴ヶ城落城と勘違いし自刃したという悲話が有名。
現在は、戸ノ口堰水神社内にある。
ここから流れ出た用水は、会津若松城下へ流れ、御薬園や鶴ヶ城のお堀も潤す。
戸ノ口堰水神社。
飯盛山と白虎隊記念館。
市営の無料駐車場と案内板。
水辺遍路謹製マップ。