水辺遍路

訪れた全国1万1,300の池やダムを独自の視点で紹介

大清水池(福島県棚倉)

おおしみずいけ。
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大阪難波から信心深いお百姓さんの背負篭(しょいかご)にのってこの地にやってきた白蛇が、お礼にと一晩で湧き上がらせた湧水の池。この白蛇の霊験で日照りでも湧き水が尽きることはなく、部落の農の営みを長く支えてきた。
あるとき、100mほど隣の部落に水を分けようとすると、ぴたりと水が止まり人々を驚かせた。じつはその部落は白蛇を背負ったお百姓さんの姿があまりに汚らしいというので一晩の宿を断った部落だった。今も地名として残る「日照田」という字名がそのときの人々の驚きを今に伝える。
室町時代には池のほとりに中世城郭もあった。宇賀明神は江戸期に移築。
同名の池は、はるか九州の離島である壱岐にもある。

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<施設・設備>
駐車スペース
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大清水池の由来


むかしむかし、聖武天皇の御代に、神亀(じんき)という年がありました。ちょっと古いお話ですが、宇賀神社のおこりにもまつわるお話です。                    
今から1250年ほど前に、磐城の国飯野村(今の上台、玉野、福井)の人で、大変信心深いお百姓さんがいました。そのお百姓さんが、ある時、西国の巡礼を思い立ち、さっそく旅に出ました。やがて江戸を過ぎ、箱根を越えて、京都・奈良・大阪と各札所を廻り、大阪のある宿屋に泊りました。

 連日の旅の疲れでその晩はぐっすりと寝込みました。そして、いつしか夜が明けそめる頃、不思議な不思議な夢を見ました。その夢は白い長いひげを胸までたらした老人がどこからともなく現われ、お百姓さんの枕元にスーッと立ち、「われは宇賀明神であるぞ。これより東国に地にゆかりの土地がある。その土地までわしを連れていくがよい。わしは、その土地に永く留まってその土地の氏神となり、万人に福徳を与えるであろう。」とおごそかな声で言いました。老人は、お百姓さんの皮で作った背負いかご(皮籠)に入ってしまいました。そしてそのかごの中から、「ゆかりの土地に着くまでは、決して、蓋をあけてはならんぞよ」ときびしく申し渡しました。お百姓さんは、これは不思議なことだと大変不安に思いましたが、もともと信心の深い人ですから、神お告げの通りさっそく東国をさして旅立ちました。

 さて、途中いくつもの宿場をつぎつぎと通り、何日も何日もかかって飯野村の近くにある逆川までたどり着きました。しかし長い長い道中だったので、体は綿のように疲れて、今一息の所まで来たのに体は動きません。それに日は沈み、あたりはすっかり暗くなりました。腹もペコペコなので近所の家に泊めてもらうつもりで回りを見れば、木立の間からほの暗い明かりがチラリ、チラリと見えています。それに元気づけられ、痛い足を引きづって近づいて見ると、一軒の農家でした。

さっそく案内を乞い、一夜の宿をお願いしてみました。しかし、このお百姓さんの姿は長い旅の汚れで見るからにきたならしく、いかにもみすぼらしい乞食(こじき)のようだったので、農家の主人は泊めてはくれませんでした。お百姓さんは仕方なく、また、痛い足を引きずりながら、つぎの部落の方へとトボトボと歩いていきました。時折り倒れそうになるのをがまんして、満身の力を振りしぼり、ようやく今の福井の地にたどり着きました。そうしてやっと一軒屋を見つけて一夜の宿を頼んでみました。すると、その家の主人は大変気の毒に思い、泊めてくださいました。ありがたく、ご飯もおし頂いて空腹を満すと、やがて眠くなり、暖かい床に着かせてもらいました。

すると、またその晩夢をみました。前の時と同じように老人が枕元に立って、「この土地こそわたしの縁(ゆかり)の地である。この家の前の山際に、小さいけれどもきれいな清水が湧いている沼がある。それが飯沼という沼である。そこのほとりに、わたしを祭ってくれ。この部落の人が大変親切にしてくれたので、お礼にたくさんの水を出し、どんな日照りにも困らないようにしてやるぞよ。」といいました。お百姓さんは、あくる朝、その地を探してお祭りしようと皮ごの蓋を開けると、五寸ほどの白蛇が、金色に輝きながら前の野原に姿を消してしまいました。 これを見た宿の主人が大変驚き、変だと思いお百姓さんに尋ねてみると、お百姓さんは、今までの夢物語の一部始終を話してくれました。


このことを伝え聞いた、この里の長者や農民たちも、皆びっくりして、新しい神棚を造り、宇賀神社を祭って一心込めて朝夕拝むようになりました。すると、どうでしょう。清水はどんどん湧き出て水があふれ、大きな池になりました。これが今の大清水池なのです。このため福井部落では水に不自由しなくなり、来る年も来る年も豊年が続き、平和な部落だったといいます。

その後大変な日照りが続いたある年のことです。付近の部落では水不足で大弱りです。連日のカンカン照りのため水田はひび割れ、植えた苗も枯れる騒ぎです。それなのに、この部落だけはいっこう平気です。これを見た大清水池に近い部落の一部は、この部落の農民と話し合い、水を分けてもらうことになりました。 ところがどうでしょう。その部落に水を流そうとするとこれは不思議や不思議、清水が湧いて出ません。両部落の人が不審に思ってもとの通り福井部落にだけ水を流すと、もとのように水がコンコンと涌き出ます。これには、さすが近隣の人々も驚き“信心の深いお百姓さんの宿をしなかった罰だろう”とつぎつぎに語りつがれ、明神の神霊のあらたかさには、今更ながら皆驚いたといいます。

 こんなことでその部落には水が流れなかったので日照田()(ひでりた)という小字が生まれたという人もいます。

 そもそも大清水のある地域はその部落に属していましたが、いつのころからか福井に属し、大字福井字大清水となって現在にいたっているとのことです。また、宇賀神社も現在地に建立し、今でも盛大に祭典を行い感謝しているといいます。


(出典:棚倉町ホームページ)


マークした場所が駐車スペース