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水辺遍路

実踏・日本の湖沼 5,500湖

上田の野池群(長野県)

長野県 エリア特集

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(人柱伝承の残るその名も恐ろしい舌喰池)

塩田平は、民話とため池の里。

全国ため池100選にも選ばれた「塩田平のため池群」をはじめ、上田は美しい野池の宝庫である。
小諸の野池群に比べて、池ひとつひとつの規模は大きいが堤にぐるりと囲まれた皿池が多い。
氷上釣りができるところが少なくなったとはいえ、冬場はワカサギ釣り場としてにぎわう池もある。とはいっても上田の野池群のなかで釣り場といえるような場所は少なく、残念ながら釣り禁止、立入禁止、会員制が多い。
秋から水抜きをする池も多く、そういうところではブラックバスはおろか、へらぶな、鯉さえ見かけない。景観を楽しんだり歴史散策するには最高であるが、釣り竿をもってランガンすると気落ちしてくる。でもよく見ていると、地区ごとに池の扱かい方(護岸、フェンスの種類、看板など)に違いが見られ、釣りに対しても黙認のような感じの場所や、釣り会員制の場所、有料で開放しているところなどもある。

ため池を地域の観光資源にする動きも

しかし全体として見てみれば、釣りには厳しい措置が大勢で、ため池の景観、歴史的価値を後世に残すためには、釣り人とは共存できないと判断した結果なのだろう。一方、地域の資産を観光に有効に活用としようとする動きも胎動していることから、今後、一部の池で遊歩道や親水護岸、駐車場、案内板等の整備が進む可能性も感じた。







<そのほか掲載している上田周辺エリアの野池>

  • 泉池(上田)★ワカサギ
  • 上池(上田) ★ワカサギ穴場
  • 日向池(上田)★身投げした女を引き揚げた弁天様の伝承。
  • 神池(上田)生島足島神社の池。
  • 塩吹池(上田)
  • 沢山池(上田)
  • 瓢箪池(上田)総合公園内にある。釣り禁止。
  • 明神池(東御)
  • 乙女湖(小諸)
  • 新池(東御)
  • 大之池(東御)
  • 八重原の野池1(東御)
  • 八重原の野池2(東御)
  • 上田りんごソーコの池(仮称)(東御)
  • 平井寺トンネルの池(仮称)(上田)
  • 水沢池(上田)
  • 来光寺池(上田)
  • 山田池(上田)
  • 北ノ入池(上田)
  • 浅間池(上田)
  • 下ノ池(上田)
  • 赤坂池(上田)
  • 幕宮池(上田)
  • 上池(上田)
  • 夫婦池(上田)
  • 長野大学の池(仮称)(上田)
  • 迎原下池(上田)
  • 迎原上池(上田)
  • 日高精機の池(仮称)(上田)
  • ライスセンターの池(仮称)(上田)
  • 女池(上田)
  • 上原池(上田)
  • なごみ歯科の池(仮称)(上田)
  • 中野前池(上田)
  • 共有池(上田)
  • 上平池(上田)
  • 横山池(上田)
  • 枡池の南池(仮称)(上田)
  • 枡池(上田)
  • 古池(上田)
  • 宝池(上田)
  • 新池(上田)
  • 荒池(上田)
  • 甲田池(上田)
  • 清水池(上田)
  • 手洗池(上田)
  • 男池(上田)
  • 五加前池(上田)
  • 宮原上池(上田)
  • 久保池(上田)
  • 内村ダム(上田)

上田の野池にまつわる民話と歴史
(ウィキペディアより抜粋)


●舌喰池
舌喰池の名前の由来は次の通りである。この池が造られた当時、水漏れにより十分に水をためることができなかったため池を改修することが決まった。その際に、池の土手に誰かを人柱として捧げなければ水がたまらないとする風説が広まった。くじにより村外れの一人暮らしの美しい娘が人柱に選ばれたが、この娘は人柱に選ばれたことを苦にし、人柱になる前日に舌を噛み切り池に身を投げて自ら命を絶った。それ以降、この池は「舌喰池」と呼ばれるようになった。


●甲田池
昔、甲田池に河童が住んでおり、池の土手につながれていたお百姓さんの馬を河童が池に引きずり込もうとしたところ、馬は驚き逆に河童を馬屋まで引きずってしまった。河童は頭の皿の水がなくなったために動けなくなったが、河童はお百姓さんに「助けてくれれば、家に祝い事がある時にお膳を用意する」と約束し、お百姓さんは河童を助けた。約束通り、河童は家に祝い事がある際には人数分のお膳を用意した。しかしある時、隣のおばあさんがお膳を隠してしまい、お百姓さんは河童にお膳を1つだけ返せなかった。それにより、河童のお膳は絶え、おばあさんの家は不幸な目にあったという。


●小島大池
小島大池には次のような話が伝わっている。元禄2年(1689年)、猪が田を荒らしたため、農民が空砲を1回撃ったところ、驚いた猪はこの池に飛び込み、5頭が死んでしまった。当時は生類憐れみの令が出されており、上田藩は、この池の東に死んだ猪を埋葬し猪の死の理由を記した木札を立てることを村人に命じたという。


●手洗池の名前の由来と歴史
昔、柳沢村に欅があった。幹が6メートルもある大きな欅であったが、ある年、欅の枝が折れ、翌年に天候が荒れて山林のほとんどが倒れてしまった。この年も欅の枝が折れ、翌年も天候が荒れたため欅に原因があるのではないかと村人は思うようになった。信濃国の武将の手塚光盛がこの地を通った際に、村人が光盛にこの話をしたところ、光盛は欅を倒して御神木にするように言った。これに従い、村人はこの池で手を清め欅を御神木にした。このことによりこの池は「手洗池」と呼ばれるようになった。
手洗池の名前の由来には次のような異説もある。弘法大師が前山寺を創立した際に、水たまりで手を洗い、後にこの水たまりの場所に池が造られた際にこのことにちなんで「手洗池」と呼ばれるようになったという。
また、この池は承応3年(1654年)に造られたとも言われている。水田の開発にあたってこの地が池に選ばれたのは良質の粘土が採れ、大洪水の際に土石流を抑止できるためと考えられている。